Vol.58私の大峯奧駈修行|泉州統合クリニック|高石市 漢方内科・婦人科・心療内科・精神科・内科・専門外来(ヨガ・食養生・鍼灸・アーユルヴェーダ)

院長ブログ

Vol.58 私の大峯奧駈修行

2023年08月12日

はじまり

吉野から熊野本宮までの奧駈道を行じる大峯奧駈修行を始めて早や7年になる。天候も違えば、修行を共にする行者さんの顔ぶれも毎回同じ出ないので、毎回違ったしんどさがあるのですが、今年のお修行はとにかくとにかく苦しいものでした。令和5年7月15日、出発前日の受付で「中田さん、今年は奉行をよろしくお願いします。」と赤いタスキを受け取るところから今年のお修行は始まりました。

脱水症の私、重く感じる赤い襷(タスキ)

今年の奧駈修行では、二日目から酷い脱水症状に苦しんだ。突然堰を切ったように始まる滝のような汗。暑くなることを予想していたから、水はいつもより多く4リットル背中に背負い、塩も多目に用意して、水と塩の補給には注意を払っていた。それなのに、最初から衣体(白衣)がズッシリ重くなるほどの汗。大量の汗と共に呼吸が苦しくなる。「塩だ、塩が必要だ。」と。そして岩塩を舐めるが、塩辛くてそんなに多く口に含む事は出来ない。喉が渇いてお茶を飲むと気持ち悪くなるし、更に汗が出て逆効果。そうこうしているうちに、手はしびれて足から力が抜けていく。二日目は始まったばかり。まだ1回目の大休止にもなっていない。今日の目的地、弥山なんてまだまだ視界にも入らない。本当に無事に里に帰れるのだろうか、そんな恐怖心がヒュッと胸を通りすぎ、背中はゾクゾク恐怖心がじわじわ全身に広がる。恐る恐る周りを見渡してみても、自分ほどしんどそうにしている人はいなさそうに見える。「なんだ、皆、まだ元気やんか。」自分と同じようにしんどそうにしている人を探してホッとしようとしている自分に気が付いてがっかりする。僕は今回の隊全体を支える立場なんだ。それなのに全然支えていないやんか。我に返ると奉行の赤いタスキがやけに重く感じた。

 

今まで熱中症を診断したり治療してきた自分自身の経験を遥かに越えていた。頭で分かっていても、実際に自分がその状況になると予想通りにはならない。実は奧駈修行直前に体調を崩してなんとか今回の修行に参加した行者さんがいた。僕は、彼の体調を気にしていた。小休止になると大丈夫か?と声をかけに行って居たのだが、毎回「お腹が張って、、」と苦しそうに答える彼をみて、「やっぱり、今回は苦しいよな、自分だけ体力がなくて苦しいわけじゃないよな」って逆に励まされるようになっていった。

あふれ出る涙

三日目の朝、弥山から八経ケ岳に登り御来光を迎えた。素晴らしい御来光に心洗われたが、この有り難いお日様が今日これから自分を苦しめる強い日差しを放つと思うと、恐怖を感じる。最初からもう余裕なんて一片も残ってない。カメラに収められた笑顔はシャッターを切る瞬間だけ笑って見せただけ。そこから先は、もうあまり覚えていない。小休止になるともはや座っている事も出来ず、孔雀岳の小休止、五百羅漢を眺めに行く行者仲間を横目にバッタリ大の字に倒れ込む。「中田さん、大先達の目の前でよう、大の字になるわ!」と声がするが移動する事すら出来ない。里で待っている家族の顔が目に浮かぶ。弱気と気合いが交差する中、出立準備の声がかかる。そしてまた歩き出す。二度目の大休止がかかった釈迦ヶ岳の登坂の手前、もうプライドもなにもなく、後ろに下げてもらうように総奉行(お世話役である奉行衆のまとめ役)に申し出た。一番後ろは副奉行のIさん。「しっかり足だせよ。何喘いどんねん。」後から声がかかるだけで、後に居てくれるだけで気持ちが保てる。本当に有り難い。心が折れたら足が出なくなるのが分かってるから、とにかく1歩。懺悔懺悔、六根清浄。あれ?こんなところに人が立ってる?って近づいたら岩。懺悔懺悔、六根清浄。足が出なければ手を出して登る。もう最後は這って登っている。そして釈迦ヶ岳の頂きが見えてきたその時、山頂から行者仲間が僕に向かって投げてくれる懺悔懺悔、六根清浄のかけ念仏の声が聞こえた時、天から光が射した。有り難い。有り難くて涙がこぼれた。皆に助けていただいて、ここまで来させていただいた。感謝の気持ちがあふれ出た。涙を見られるのが恥ずかしいから、僕はこっそり横を向いた。自分は奉行なのだけれども、前鬼まで無事に降りたら、奉行さんって、自分の感想を言うこと普通は無いんだけれど、新客さんと同じに今日感じた事を皆にシェアしよう。感謝の気持ちを伝えたい。そう思った。

告白

前鬼小仲坊で、前半の満行式。新客さん達が感想を述べ終わったあと、他になにか?僕は、今日釈迦ヶ岳で涙をこぼしたことを皆の前で告白し、薬事奉行として熱中症の注意をする立場だったけれども、自分自身が脱水症に苦しんだ事を話した。今まで、里で経験して安全な場所で指導しているのと、奧駈で経験していることは全く次元が違う事。里ならタオルを投げて終了となるところが、行場ではそうならないこと。そして、そのギリギリの状況では心が折れたら行き倒れるだろう、ひとりで歩いていたら確実に行き倒れていたと思うこと。釈迦ヶ岳でのかけ念仏が天からの声に聞こえて感謝が溢れたことをお話しさせて頂いた。

ギリギリを越えた先に見えたもの

ギリギリを越えた先には感謝があった。周りのお世話をする立場ながら、全く余裕がない自分に対しては、これから精進しようという意識は生まれたが、自分を否定する感情は不思議となかった。今年の行は、自分自身の今の力の限界をひとつの事実として知ったことと、なにより支えられて生きている、修行させて頂いていることを体で感じた修行だった。今まで、格好をつけていた自分に対して笑えてしまうような、清々しさすら今は感じる。

一緒に修行をしていた今年新客のAさん。普段は心の調子を崩した人の社会復帰のお手伝いをしている。彼が残した言葉にも共感した。「いつもは、支援する側でいたけれども、本当の意味でギリギリまで苦しんで居るひとの苦しみって、自分は体験していなかった事がわかりました。本当に頭が真っ白になるって経験をして、自分はやっと患者さん、利用者さんと同じ所に立てました。」遅ればせながら、僕は今年、本心からそう思った。余裕こいてるんじゃねえよ。人生は常に必死なんだ。

最後に

安全な場所から普段仕事をしていて、口では偉そうな事言っていた自分が、実際に自分自身のギリギリを超えた追い込まれた状況で、事前の準備など意味をなさない状況で、「感謝」に溢れたという事、それが、本当に有り難く、何ものにも変えがたい体験であり、これを文字にしたかったのでこれを書きました。

里に帰って、涼しい部屋で冷静に見たらまあ、色々ある。でも、そんなことはお修行中には関係ない。頑張るとか、頑張らないとかでもない。自分自身の浅知恵や薄いプライドが剥がれ落ちた事が大切な事だったと振り返って思います。

9日間にわたる令和5年の奧駈修行、参加させて頂き有り難うございました。行者仲間の皆さま、有り難うございました。そして私を送り出してくれ、心配しながら待っていてくれた患者さんを含めた多くの皆さま方、有り難うございました。

 

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